002)客室乗務員として飛び始めるまで

サバイバルな香港での生活

| |

サバイバル要素をさらに高めたのが香港での生活。訓練中に滞在してたのが女人街がすぐそばの香港の下町だったため、人は多いし、荒いしで、町を歩けばこれまたサバイバルな空気が流れていました。

また、訓練が月曜日から土曜日まで進む中、日曜日しか休めないのに、訓練後に住む場所を自力で探さなければいけないのも「サバイバル」の要因でした。

会社のハウジング担当部署の人が「クルーはLaguna CityとかScene WayとかWanpoaに多く住んでます。」とか「ここの不動産屋さんだったらクルーは手数料なしで大丈夫なので電話してみて。」と教えてはくれたものの、あとは自分たちでどうにかしなければなりませんでした。

日本の感覚だと、例えば自由が丘の物件を探すのに渋谷の不動産屋さんで探しても特に問題は無いのですが、香港は勝手が違いました。何も分かっていたい私たちは当初、ホテルの近くの不動産店へ行き、「Laguna Cityの部屋ありますか?」と聞いたところ、「うちでは扱っていないからLaguna Cityへ行って」と言われてしまいました。つまり、住みたいエリアに行かないと、そのエリアの不動産は扱わない、というのが香港の不動産事情だったようです。

Laguna Cityってそもそもどこだ?と訳かが分からないながらも何とかMTR(地下鉄)を乗り継いでLam Timという最寄駅までたどり着きました。

下町と違ってこのあたりはきれいなマンションが立ち並び、人もそんなに多くなく、なんだかいい感じ。部屋を見せてもらうとホテルっぽい洗面台やお風呂などがあり、高層階だと香港島がすぐ対岸に見え夜景もきれいそうだし、ということですぐにでも引っ越したくなりました。

ただ家賃はその当時は中国返還前のバブルでまだ高く、5畳と4畳ほどのベッドルームに3畳くらいのキッチン、8畳くらいのリビング・ダイニングルームの2LDKで日本円で23万~25万とかいう家賃でした。

もちろん、部屋をもっと狭くして眺めにもこだわらなければもっと安い物件はあったのですが、どうせ香港に住むなら夜景だよね!、とルームメイトとも話し、当時15000HKドルのフラットに決めてしまいました。うち一人につき6000HKドル程度(当時で10万円程)が会社から家賃補助が出るから、という前提があったから可能な選択でした。

このとき、保証金として2000HKドルほどを払ったら、日本から持っていった所持金(8万円)が底をつきそうになったのであせりました...。やはり新しい土地で部屋を借りることまで考えると8万円じゃ全く余裕がありません!!

サバイバル訓練、続く

| |

スライディング

訓練中は座学のほかにも実技もあり、その中で私にとっての難関は「スライディング」でした。「スライディング」とは非常時にドアから出てくる「滑り台」のようなもののことです。飛行機に乗ると必ずシートポケットに搭載されている「安全のしおり」に載っているあれです。

訓練上にはB747のモックアップがあり、そこからスライドが出ているのですが、下から見るとたいした高さじゃないと思っていたのに、初めてドアから下を見たときには思っていたよりも高く、滑るのに勇気が要りました。

"Jump and slide, two at a time!" (二人ずつ、ジャンプして滑れ!)という掛け声と共に、機体から飛び出しするりと滑るのがコツなのですが、最初は一歩目のジャンプがなかなかできずにいました。

でも教官に「前のインダクションのシンガポール人は他の成績は良かったけれど、これを滑れなかったから訓練をパスできず国に帰さざるを得なかった」 と言われたので、こんなことくらいでいまさら日本に帰されても困るな、と思い、思い切って滑り出してみました。

非常訓練中は何度も練習しましたが、一度滑り出すと楽しくて、恐さはまったくなくなりました。物事って意外とそんなものなのかも知れません。

 

火を消し、水へ飛び込み

飛行機の中で火事が起こったら、という訓練も何度かしました。実際、湿度が低い機内ではちょっとしたことが大きなことになりかねないからです。実際に、消火器を持って燃える火を消す訓練もしました。

それにディッチングといわれる着水時の訓練。

当時カイタック空港そばのC社の屋上にあったプールに非常用ボートを広げ、プールに飛び込みます。そしてそのボート目指して泳いで這い上がるということをしました。

次に、足がつかないプールで25メートル泳ぎきることとか、水に浮かんでいる人(一応救命胴衣を着けている状態で)を引っ張ってボートに上げること、、、などなど。コックピットクルーも一緒になって水の中でもがく訓練は、まさに「サバイバル」でした。

 

生き抜くためのシミュレーション

訓練ではこんなシミュレーションゲームもしました。

飛行機が海に不時着してしまいます。助けはなかなかきません。ボートではあなたがリーダーです。20人の乗客をまとめなくては行けません。但し食料はこのガムと水だけです。海水を蒸留用する薬品もあります。では飲み水はどうする?という質問に対する答えとして。

人間は最初の24時間は何も飲まなくても大丈夫だから2日目以降まで水は飲ませないように、とか乗客の中からあなたのアシスタントを見つけること、とか。

他には機内サービス用に搭載しているウォッカは消毒液としても代用できる、とか言った事を学びました。

また、無人島に何を持っていくか?というクイズもやりました。水とか、アルコールとか、そういったもののなかからどれを持っていく、というのを選んでいくのですが、その選択結果によってあなたはどれくらい生きられる、という診断(あくまでクイズだけれど)が出てきました。

まさに、サバイバル訓練。

いかに自分の身を守るか、長く生きるか、周囲をチームとしてまとめるか、「スチュワーデス」というときれいにお化粧して飲み物や食べものをにこやかにサーブして、というだけのイメージだったのですが、実際は「緊急要員」であるということがつくづく分かりました。

基本は「まずは自分の身を守ること。自分の身が守れないと他人の命も守れない」ということでした。

 

平熱37度!?

緊急訓練時に習ったことのひとつで、未だに納得がいかないのが平熱の温度です。

最初に出てきた恐いインストラクターが「人間の平熱は37度です」 断言したときのこと。日本では37度以上だと「微熱」だよな、と思っていた私たち日本人訓練生の中の一人が「37度は平熱ではないのでは?日本では37度だと微熱に分類されるんですけど。平熱は36度前後です」 と発言すると、そのインストラクター、「1度くらいの違いが大きいか?」と言い「何を細かいことを言っているのだ」という感じで一蹴され、そのまま授業が進められました。

でもやっぱり、37度は微熱のはず。なのですが、実際香港のクリニックにかかって「私37度もあるんです。だからフライト休ませて」 と言っても「37度くらいは熱じゃないから大丈夫」と言われたり、日本人以外の乗客はみんな暑がりだったり、という経験をするととやっぱり香港では37度は熱ではないらしい、と思えてきました。

サバイバル訓練の開始

| |

だいぶあやしいながらも何とかサービス訓練を終え、次は最後の砦、セーフティー訓練へ。サービス訓練中は赤い制服を着て濃く化粧をして毎日トレーニングセンターに通っていたが、セーフティー訓練時には制服を脱ぎ、ジーパン、Tシャツ、スニーカーで通うことになりました。

こわい

サービス関連のインストラクターは現役のクルーも兼ねた女性で基本的にはソフトで楽しい、という路線だったのに、サービス訓練の最初の教官が恐ろしくてまずは驚きました。「説明しているときはノートを取るな!」とか「私語は厳禁!」と、なぜだか分からないがクラス全体が怒鳴られるような印象を初日に持ったものです。

後日その教官と親しくなるうちに、実はすごくおちゃめな人なのに、訓練中はわざと厳しくしていたのが分かったのですが、とにかく当時は「なんてこわいところなんだ」と思ったものです。

 

分からない

分厚いセーフティープロシージャーブックを渡され、まずはボーイング747型機から学んでいきます。その頃、C社ではB747の200、300、400の3種類を保有していたので、タイプごとに緊急脱出時のドアの開け方が違うとか、消火器(水ベースのと油などに使う用の2種類がある)の場所が違うことなどをいきなり教えられ、同じジャンボでもいろんな種類がある、という時点でわけが分からなくなっているのにさらに緊急時のフローが違うともなって頭が混乱しっぱなしでした。

このとき、日本語でも前提知識がないことを英語で学んでいくことに難しさをつくづく実感しました。アメリカ留学時ですら特に大変だと思わなかったのに、「今回はなんて大変なんだ!」と感じていました。

やった、機内食!

| |

サービストレーニングでの楽しみがドリンクサービス&機内食サービスでした。

ドリンクは実際にアルコール類も飲めるのかと思っていたら、そうではなく座学のみ。

ワインにはボルドーとブルゴーニュがあって、とかスクリュードライバーはこうやって作って、というのを教えてもらうだけでした。

しかもカクテルはバカルディやジンのビンの中に赤や透明の「色水」が入っていて、それらを実際の機内用のグラスに氷を入れて、マドラーでかき混ぜ、レモンスライスを添えて作る、というおままごとのようなことをするだけ。やっぱり飲んでみたいとどんな味か分からないのに、と残念の思ったものです。

唯一、ベイリーズやコワントロー、ドランブイエなどのリキュール類のみ、マドラーにちょこっと本物をつけて「におい」をかがせてもらい、どんなお酒なのかを覚えました。

そして楽しみにしていた機内食サービスの訓練。

「お客様、シーフードパスタと鶏肉ご飯とどちらになさいますか?」などと、訓練生どうして客室乗務員役と乗客役をして練習しました。今まで外資系のフライトに乗ると単に"Fish or chicken?"と簡単に聞かれるだけだったので、そんなもんだ、と思っていたのですが、C社では単にそれだけじゃなく「お魚料理とパスタ」「鶏肉とご飯」のように具体的に何が入っているか、を乗客に説明するように指示されました。

当初は「やった、機内食!」と喜んで食べていた機内食ですが、その後フライトを続けるうちに味の濃さと塩分の強さが気になるようになり、ほとんど手をつけないようになってしまいました。

サービス訓練 その2

| |

BC6ってなに?

サービス訓練の中でまた戸惑ったのが乗客の搭乗時、およびディスエンバケーション時などに定められているクルーの動き、というものです。

BC1はここ、BC3はここ、というように「定位置」が決まっているときうことに、まずびっくり。しかも、ドアが開く前にもともといた場所「A」から「B」へ移動しないといけなかったりして、何がなんだか分からず戸惑いました。

ちなみにBCというのは当時C社で使っていたポジションで、Bar&Cabinの略。つまりはギャレーとキャビンの担当者という意味。1とか2というのはどこのギャレーでサービスを受け持つ位置はどの辺になるか、ということと緊急時の非難誘導ポジションをも決めるものでした。奇数、偶数によってキャビンの右半分か左半分を受け持つか、ということが分かれていて、当時はジャンボ機であればエコノミークラスにBC1からBC6までの6人が配置されていました。

飛行機に乗る機会は以前からあったものの、どのクルーがどこに立って、どこを担当するか、なんて考えたこともなかったのでそこまで厳格に決まっていることに随分驚きました。

 

グランドプリパレーション

「グランドプリパレーション」とは、直訳すると「地上での準備」。具体的には、客室乗務員として機内に乗り込んでから、一通りの緊急用品のチェックを終えたら、乗客の搭乗が始まるまでの10分間ほどで行う準備のこと。

内容としては、トイレにコロンを設置したり、機内エンターテイメント用のヘッドフォンの準備をしたり、メニューカード、入国カードの準備、コーヒー、紅茶のセッティング、おしぼりの準備、などなど乗客が搭乗後~離陸までの間に配布するものや、離陸後のドリンクサービスがスムーズに行えるようにするための準備のことを言います。

わずか10分間ほどの間に少ない人数でこれだけのことをしなければならないため、いかにすばやく効率的に動くか、という点においてやはりチームワークが重要でした。

例えばAさんがおしぼり、Bさんがヘッドフォンの準備をしているのなら私は何か違うことを、というように、タスクが他人と重ならないようにとっさに判断して動かなければなりません。C社では特に「あなたはこれをしてね」みたいな担当が決まっておらず、またフライト毎に一緒になるチームメイトが異なるため、その場に行って周りを観察して臨機応変に動くということが重要でした。

ただし、新人のうちはどうしても他人のやっている仕事を見て、「あ、これ手伝わなくては」と同じタスクを手伝ってしまうという「ダブルワーク」をしがちでした。

 

見た目重視はトレーニング中だけ?

トレーニング中には"Presentation is important."「見た目が大事です」、という建前があったせいで、ドリンクサービスの際に使う「レモンスライス」を一枚一枚花びらのように重ねなおす、などという細かい仕事を教えられた。実際飛び始めてから、10分間の「グランドプリパレーション」ではそんな時間もなければそんなことをしている人もいませんでした。

 

必要なのは運動神経

訓練中に特に思ったのは、この仕事にはある種「運動神経」が必要だということ。例えば、上述の「BC1はここに立って、ここへ動く」みたいなことにしても、「このタイミングでこう動く」といった判断で身体を動かすことが必要なため、どちらかというと女性よりも男性訓練生のほうがてきぱきとこなしていました。

ドリンクやミールのカートは重いし、ビールの缶が21個くらい入ったトレーをグイッと運んだりすることも必要なので力は要るし、クルーの仕事は実は女性よりも男性の方が向いてるのでは、とよく感じたものです。

実際、一般的に男性の方がチーム全体の動きを把握して自分がどう動けばよいか、と判断するのが得意だし、力も強いので、フライトをはじめてからも男性の方がこの仕事って向いてるかも、とよく思ったものです。

サービス訓練 その1

| |

サービス訓練

当初の「コミュニケーション」スキル訓練を一通り終えると、いよいよクルーの仕事として一般に見える部分での訓練が始まりました。よくテレビドラマなどで見かける、機内のモックアップを使って乗務員とお客様とのやり取りを訓練するあれ、です。


目指せ、国籍不明

サービス訓練のひとつに、「グルーミング」と呼ばれるメイクアップや髪型などを教える講座がありました。

C社ではその頃、制服の色によってつけていいアクセサリーの色、ネイル、アイシャドウ、リップの色が決まっていました。 ジュニアが着る赤い制服には赤い唇、ブルーのシャドウ、真っ赤なネイル、というのがお手本で、いかに濃く、きつく、国籍不明のバレリーナ風にするかが勝負でした。

「グルーミング」担当のインド系マレーシア人のトレイナーは、メイクの色を濃くすればするほど「グゥッドッ!」とほめるので、私たちは調子に載って目の上を真っ青にし、チークもわざと濃く塗って「あなた何人?」風に競い(?)ました。そのため、この講座中に撮った写真を見ると、みな唇が真っ赤、目の上は真っ青でかなり恐い顔で笑えます。


747-300って?200って?

C社に来る前も飛行機にはボーイングとエアバスがあることくらいは知っていましたが、その中でもいろんな機種の違いがあるということは知りませんでした。

例えば、ボーイング社のいわゆるジャンボジェット機。これはB747型機と一般的に言われるのですが、その中でも細かく分けるとB747-200、-300、-400といった型の違いがあり、それぞれコックピットに必要な要員が違ったり、機内の構成が違ったりと、細かいところで色々とバリエーションがあるのです。

そんな事を知らずにいた私は、トレーニングが始まり、トレイナーが飛行機の模型を出し、「これは何の機種でしょう?」と言い出すのを目の前にした時には「一体何の話???」と思ったものです。やはり男性の方がこういった話題には強いようで、クラスメートの男性訓練生が「はい、これはボーイング747-200です。」とか「あ、これはボーイング747-400です」とすらすらと答えていて感心したものです。

と、感心しているだけでは最終的には済まず、機体の微妙な長さや高さ、2階席のドアの位置、エンジンの数などで見分けをつけるように覚えなければなりませんでした。この頃は「全く訳が分からない~」と半ば覚えるのをあきらめていたのですが、その後の緊急訓練や実際のオペレーションの際にはこの違いが結構重要になってくるのでした。

訓練開始!

| |

1997年6月3日、朝の8時過ぎに迎えのバスにのりカイタック空港そばのC社本社へ。いよいよ訓練の開始です。

当時のC社の建物は意外に地味で、冷房がキンキンに効いていて独特のにおいがしました。

まずはマレーシア人とシンガポール人のトレイナーが来て自己紹介を。前者はシニアパーサー、後者はファースト・ビジネスクラスのパーサーでした。それぞれ29歳と28歳という年齢。なぜかその頃はそれ位の人がすごく年を取っているように感じ、「ああ、そんな年なのにこの人たちって若いな」と思いました。

また、同じインダクションにはわたしたち日本人のほかにも香港人女性一人、マレーシア人2人がいました。その頃はマレーシア人=マレーシアオリジナルの人だと思っていたのに、彼らが実は中国系でマレー人ではないことに最初は気づいていませんでした。そのため、やたらと「マレーシアの言葉」を彼らから学ぼうとしたものです。後から、彼らはマレーシアに住む「チャイニーズ」だということが理解できたのですが...。

訓練は全部で8週間、月曜日から土曜日の毎日で朝の9時から5時まで行われました。その内容は大まかに分けると、

1.他人、異文化を持つ人とのコミュニケーション、記憶法(?)、気分を一定のレベルに保って気分よく過ごすには、、といったコミュニケーションスキルに関するもの

2.サービス訓練

3.緊急訓練

という構成でした。

1では最初の頃こそインストラクターも面白くて楽しんでいたものの、だんだん疲れてきて、正直ばかばかしくもなってきました。

例えば、訓練中に皆が眠そうに していると、フィリピン人のインストラクターが「はい、みんな立ち上がって!」 と号令をかけ、なぜか皆で当時流行っていた「マカレナ」を踊る羽目になったり、あるいはフルーツバスケットをすることになったり。「私、大学まで出てこんなところで何をしているのだろう」と疑問に思うことも多々ありました。

また、香港の雨、雨、雨(97年の夏はやたらと雨が多かった。それを世間では「中国に返還されたくないから涙の雨」とも言っていた)の空もあいまって訓練がかなり苦痛になった時期もありました。

ただ、「ばかばかしい」と思いながらも実際のフライトやそして今になって思うと役に立ったことも多いです。

たとえば違う文化背景を持つ人との接し方、という事例のひとつにこんなものがありました。

「あなたはフライトで一緒になったクルーに食事に誘われました。彼女は蛇スープをごちそうすると言います。さて、あなたならどうしますか?」 という質問です。これは「蛇スープ」を飲む習慣の無い自分がいかに「蛇スープ」を飲む習慣を持つ人に対する失礼の無い断り方。あるいは割り切って単純に「よろこんで」といってトライをするか、といったシミュレーションをしたものです。

また、同じジェスチャーでも文化によっては侮辱になるものであることを学んだり、お客さんから「うちの妻は下僕とは口をきかないことにしているから」といわれた時にどう対応するか、とか、乗客に電話番号をしつこく聞かれたらどう交わすか、、、などなど、実際にフライト中に起こりうるケースを想定してロールプレイゲームのようなことを沢山行いました。

また、他人の発言をすぐに結論付けないこと、ということや、他人が意図していることと、自分自身が認識することには常に相違がある、という前提を持つこともトレーニング中に叩き込まれました。

それから自分のテンションをいかに一定に保ち続け、自分の「エネルギーレベル」を高く持つか、ということも教えられました。

訓練中は「なーんだ、こんなの」と思っていたようなことも、フライト中に実際に経験してみると、「訓練で教えられたなぁ」と思い返す事が多かったです。。とはいえ、実際には他人の発言にいらいらしたり、気分にむらが出たり、というのはしょっちゅうで、学んだ事を実践して役立てるまでには至りませんでした。その後2年半で辞めてしまったのでそこまでの境地には至らず終わってしまいました。

ですが、この期間に学んだ「コミュニケーションスキル」は日本に戻ってから仕事をする上で、常に思い返し、使えるものでした。

初めての夕食

| |

荷物を解き、ちょっと一息ついてから同期の仲間と皆で夕食へ出かけました。

ここでものん気な私たち(というより私だけ?)はYMCAのすぐそばが実は香港でも最も有名な「ネイザン通り」であることに気づき、そのネイザン通り沿いにある一軒の中華レストランへ入ってみました。体育館のように広い店内、赤いじゅうたん、金色のドラゴンの飾りなど、典型的な香港のレストランでした。

いまだに旅行気分のわたし。香港は初めてだったし、本来は人ごみも嫌いなのに、なぜかネイザン通りの雑踏は楽しめました。ちょうど返還前夜の香港には人と土地から発せられるパワーのようなものが溢れていて、全身でそれを感じてすごく心地よかったのを覚えています。

いよいよ香港へ

| |

1997年6月2日の朝、私は母と大学時代の友人に見送られ成田にいました。いよいよ香港での生活が始まるのです。最初の半年は日本へも帰れないし、訓練は厳しそうだし、それに第一香港が合うかどうかもまだ未知の場所だったので分からず不安もありました。でもそれよりも、これからもずっと旅行ができるし、外国に住めるのがうれしく、どちらかというと何も深くは考えていなかったような気がします。

総勢10人で第一ターミナルの歩くエスカレータを進みました。これから乗るC社の機体が見える場所で待つ間、オペレーションをするクルーが続々やってくるのが見えたのですが、皆やたらと細くて、そこにいた一同「すごい細いよー!」 と細い理由が訓練やフライトが厳しいからだと思い込んでいました。後に自分たちが飛び出してから、細い理由はフライトが忙しいからという理由ではないことも、またフライトが厳しいのにも関わらず細くならないことにも気づかされるのですが・・・。あるいは会社指定のストッキングが紺だから実際よりも細く見えたのかも知れません。

午前11時前にボーイング747-300の機体に乗り、香港へ。そこで出会ったのは恐ろしく無愛想なクルーでした。「外資だからあまり愛想よくないのかな?」とも思いましたが、この先がちょっと不安になりました。通路をはさんだ左隣の席にたまたま「昔C社で飛んでたのよ」という女性が乗り合わせていて、「C社はどうですか?」のような話しになりました。また、たまたまこの便に同じ97年入社で早い時期に訓練済みの日本人男性クルーが乗っていて、ギャレーまで案内してもらいました。ギャレーには男性チーフがいて「訓練は簡単です。大丈夫」 と励ましてくれました。後になって全然簡単でないことが分かったのですけれど。

また、機体にはエコノミークラスにも関わらず当時としてはまだ珍しいPTV(液晶パーソナル画面)がついていたのですが、なぜか映画が見られなかったのでゲームをしました。hang manとか、トランプゲームなどの単純なものだったけれど面白く、また席にPTVがあること自体がうれしく思いました。

それと、食後にアイスクリームが出るのもうれしい驚きでした。ただ、サーブしてくれるクルーはこれまた表情がこわかったのが難点でした...。

機体がカイタックに向けて着陸態勢に。窓から見える香港の建物はピンクやブルーだと日本にはない色。でも着陸ルートが海側だったせいか、よくテレビでみるような建物ぎりぎりの風景ではありませんでした。

到着後、あまり事情をよく把握していなかった新卒&学生上がりのわたしたちは、何も考えずに観光客用の入国審査列に並んでしまい、ちょっと手間取ってしまいました。そういえば労働目的で来ていたのに。皆、社会人経験がないからそんなこともよく考えていなかったのでしょう。

やっと入国ゲートを超え、荷物を持って出ると、そこに待ち受けていたのはC社のコーディネータである香港チャイニーズのミランダという女性。めがねに、髪はぼさぼさ、でもなぜかフレアのミニスカートで顔のほくろから毛が生えている、という出でたち。しかも英語の発音が恐ろしくなまっているうえ、早口で何を言っているのかさっぱり分かりません。そして、にこりともせず、ワンセンテンス毎、しきりに「OK?」と語尾につける。でも何が「OKなの?」とさっぱりわからず...。そして車窓から見える香港の町並みも恐ろしくすすけて古いアパートが目立ち、「なんかやっぱりすごいところに来てしまったかも」 とぼんやり考えていました。

しばらくすると訓練中8週間泊まることになる油麻地のYMCAに到着しました。2人一組でツインの部屋をあてがわれました。部屋は清潔だけど、スーツケースを広げることもできないほどに狭かったです。でもいまだに旅行気分の私は、とりあえず「着いた!」という感激の方が強かったのです。ただ、部屋に到着して荷物を解いていくうちに下着の替えのほとんどを忘れてしまったことに気づいて後日家族に郵送してもらうはめになりました。

これから海外で働くことにした割に、抜けの多いのん気なスタートでした。

香港出発前の準備

| |

香港出発前に、C社から「入社前のお勉強キット」ともいうべきセットが送られてきました。A4の冊子が5冊くらい入っていて、その中には香港の生活習慣や気候、客室乗務員の仕事などについて書かれていました。当時は今ほどインターネットも普及していなく、自宅にネットがなかったので、事前準備といってもそれらの冊子と「地球の歩き方」の香港編を読むくらいのことしかしませんでした。

大学を卒業したばかりということもあり、学生気分の延長で「外国で暮らせるし、旅行もできるし、楽しみだな」と楽観的に捉えていたので、先のことなんてほとんど何も考えていませんでした。きっと今だったら「香港の住環境は?とか保険は?年金は?物価は?医療は?」とか色んなことを考えてサーチしているに違いありません。

荷物も、スーツケースひとつにジーパン一本にTシャツ数枚、後は下着類を入れたくらいで、1週間程度の旅行に行くときのようなものしかパッキングしませんでした。

そして所持金。採用後のブリーフィングで東京支社の方がおっしゃっていた「8万円くらいあれば十分です」という言葉を鵜呑みにして、ほんとに8万円しか用意しませんでした。この金額では後々苦しい思いをすることになるのですが...。

半年間は日本に帰れないというのに、なんだかとっても身軽で気軽な旅立ちでした。