001)客室乗務員採用試験

C社の最終面接まで受けた後に、「私でも意外と客室乗務員っていけるのかも」などと勘違いした私はイギリス系とフランス系の会社の採用試験も受けてみることにしました。でも2社ともまったくダメでした。この2社に関してはちゃんと私服で全身写真を撮ったのに...。(C社には普通の就職活動用のモノクロ上半身写真だけしか出さなかったのに対し、この2社は「全身写真」も送付するようにとの指示があったのでわざわざポーズをつけるような写真を撮ったのでした)

イギリス系は書類選考で落ち、フランス系は一次面接で落ちてしまいました。フランス系の時は「学生さんらしくていいですね」という言葉を面接官にかけられ「これはダメだな」と思ったら案の定、不合格。当時の「スチュワーデスマガジン(現在のエアステージ)」曰く「マチュア」な大人の女性を求める外資系航空会社では青臭くて幼い「学生らしさ」は不適格なのです...。

2社とも落ちてあとはC社しかない、とあきらめがついた私は2つの問題に対処すべく大学4年の後半をすごしました。

問題1:水泳能力
問題2:鼻の持病

1番目の水泳能力。当時の私は息継ぎというものができなかったので、C社が求める「25メートルを泳げる」に達していませんでした。かといって採用試験では水泳テストなんてなかったので何とか最終までこぎつけたのですが、仮に合格して訓練が始まれば泳げないと困る!ということで近くのスポーツクラブの「水泳初心者クラス」に行って息継ぎをして泳ぐ、ということを覚えました。おかげで2キロくらいは余裕で泳げるようになり、水泳能力の問題はクリア。

2番目の鼻の持病。耳鼻科の意思曰く、私には副鼻腔炎というものがあり、鼻の中がちょっと腫れていて、航空会社の健康診断ではやや不利になるということでした。場合によっては手術が必要とのことだったけれど、とりあえず炎症を抑える点鼻薬をしばらくさすことにしました。実際、健康診断でも特に問題は指摘されず、乗務しても特に支障を感じなかったのでそんなにシリアスな状態ではなかったのかもしれません。

水泳と鼻、この問題をクリアにしてあとは健康診断とその結果を待つのみとなりました。

合格通知とブリーフィング

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12月に最終審査である健康診断を受け、その後1月になっても2月になっても通知は来ません。もうすぐ大学も卒業だというのに。とはいえ、学生最後の春休みだし、「こんなに長期間休めるのも今のうち、せっせと旅行しなくちゃ」と通知をもらわないままだったけれど、卒業旅行を3回に分けて行きました。

一回目:母と二人でLA&ラスベガスへ
二回目:一人でニューヨーク、マイアミ、メキシコシティーを経てキューバへ
三回目:ロンドン経由でイギリスの旅行会社Imaginative Travellerが主催するエジプトナイル沿いツアー11日間に参加。当時はネット予約はあまり発達していなかったのでFAXでやり取りして予約を。

ついにC社からの通知を受け取ったのは二回目のキューバ旅行に行っている間でした。成田に迎えに来た母の車の中で、何も言われずに「はい」と電報を手渡されました。そこには「あなたは合格しました」という文字が印刷されていました。随分待った割にはそっけなく、そしてあっけない通知。「健康診断まで行けばまず大丈夫」とは巷では言われていたけれど、こうやって会社側から公式に通知をもらえてやはりほっとしました。

ただし問題は、3月に入社前のブリーフィングがあるということ。ちょうどその日程には3回目の卒業旅行でヨルダンへ行くことにしていたので急遽旅程を変更しなければならなりませんでした。

3月のブリーフィングも今までの審査と同様に新宿の京王プラザで行われました。会場には数十人の97年の東京リクルート組が集められ、給与や労働条件、香港での暮らしなどについて説明がありました。96年夏よりクルーの雇用体系が変わっており、それまでのように正社員ではなく3年契約の契約社員としての雇用であるとも言われました。給与もその分変わって(下がって)いて、日本円にすると20万円も行かなくて「あれれ、そんなに少ないの!」とは思ったけれど、住宅補助(当時は5200HKドル位だった)やアウトポートへ行ったときのアラーワンス(手当て)も出るし、なんと行っても外国暮らしができるというも目的が達成できるので、それらの条件については全く気になりませんでした。その他、C社の株主がどことか、世界の航空会社にC社がどれくらいの位置にあるか、という話しなどもあり、「C社ってもうかってるんだ」と思ったものです。返還前の好景気がそこにはまだありました。その頃はたしかトップ3がスイス航空、ブリティッシュエアウェイズ、それにC社だったと思います。入社直後にアジア通貨危機で乗客が激減するようなことを経験することになるとは、その頃は全く予想もできませんでした。

ブリーフィングの中で、同じ「インダクション」のメンバーが集められ、互いに自己紹介をしました。インダクションとは「同期」のようなもので、一緒に日本を出発して一緒に訓練を受ける組のようなものでした。同じインダクションには男性2人、女性8人。皆学校を今年卒業、という感じだったので立場が同じだったので話しがすぐに合いました。いかにも「スチュワーデスでございます」という感じの人はいなくて、かわいくて親しみやすい感じの人ばかりだった。

同期となるメンバーや、C社の日本支社の方々と歓談しいよいよクルーになるというのが現実的に思えてきました。

そしてこの日、実はここの採用試験は最終面談で言われたように「簡単」なものではないということが分かりました。倍率は150倍程度はあったようで「あなた方は何万人からの応募者から選ばれました」などと言わました。それを親に言うと「そんなこと言ってよい気分にさせて安い給料で働かせるのよ...」と現実的なことを言われましたが...。今になって考えるとその通りかも、と思います。

でも実際、そのときに話をした日本支社の方によれば選択基準は結構厳しいらしく札幌リクルート(今もそうなのか分からないが、国内の数箇所でC社は採用活動を行っていた)ではいい人が一人もおらず、「もう散々だったから札幌では行わないことにしたんです」と言っていました

出発は1997年の6月2日。香港の中国返還の約1ヶ月前。最初に応募のレジュメを出してから1年が経とうとしていました。

五次審査: 健康診断

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8月の面接の後、健康診断があったのは12月も半ばを過ぎた頃。「後で連絡します」 と言われていたのにも関わらず12月に入ってもC社からは連絡がありません。不安になった私は「お忙しいところ済みませんが」と電話をかけ、健康診断日時を確認しました。すると「まだ決まっていないんです」という答え。その数日後C社から連絡がありやっと日時確定。最終面接までは即決の会社だったのに健康診断だけはやたらと待たされました。

健康診断は都内のクリニックのような場所で行われました。この日初めて、一緒に訓練に行くことになるメンバーと顔をあわせました。皆、これから大学や短大、専門学校を卒業する人たちで、初対面でも気軽に話せました。

診断では、視力、聴力、身長、体重、視力、聴力、血液検査のほかにもなぜか眼底写真まで撮られました。その上、心電図やレントゲン、問診も行われました。なんでそこ触るの?という診察もあっていまだあの内容は疑問...。鼻の中も見られた気がします。視力はほんとは0.3くらいしかなかったはずなのに、なぜかその日は0.6くらいまで見えるようになっていました。

とりあえず、この健康診断さえクリアすれば合格、なのだけれども、もともと鼻炎気味だった私はもしかするとだめかも、と最終的な通知をもらうまでは不安でした。というのも鼻が悪いと気圧の上下のある飛行機での仕事は耳や鼻に負担がかかって良くないから。実は最終面接の後に、「念のために」と耳鼻科へ行った際に「副鼻腔炎気味」だと医師に言われ、鼻の通りがよくなる薬をもらって治す努力はしていました。

四次審査: 最終面接

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暑い8月のある日、試験会場となっていた京王ホテルへ。スイートルームの一室で試験は行われるとのこと。ただし、今回は日本語の履歴書も持ってくるようにという指示がありました。私はその頃他の企業に内定が決まっていたため、「C社の面接あるけどどうしよう。どうせ受からないだろうし行かなくてもいいかな。」などと考えており、家を出る直前まで行こうかどうしようか迷っていました。「でもやっぱりせっかくだから行ってみよう」と家を出たのはいいけれど、志望理由欄が空白のまま...。ホテルのロビーで「旅や留学で身に付けた物事に臨機応変に対処する点を生かして、さまざまな文化、バックグランドを持った人と接する仕事がしたい。」というような内容を即席で書き上げエレベータに乗り会場のスイートルームへ向かいました。

日本人チーフパーサー(後から聞いた話によると香港でも3本の指に入るリッチな男性と結婚しているらしい)の試験官に日本語の履歴書を渡し、大学で勉強をしている内容などを説明。「音声学を勉強している」と伝えると、「あなたの話し方を音声学の見地から分析するとどうかしら?」という質問を受ける。「唇を横に引いて話すくせがあるため、母音が平板化しています」とかどこが音声学なんだか分からないような答えをすると、「そうね、確かに横に引いてしまっているからちょっと幼く聞こえるのよね」と指摘されました。

「では、○○ちゃん(私のファーストネーム)、このアナウンスを読んでください。」手渡された紙には機内アナウンスの原稿が。もともとアルバイトで人前で話す必要のある仕事をしたことがあったため、なんとか読み上げました。「アナウンスはまあまあね。」その言葉の後は外国人スタッフとの面接のため、しばしソファで他の応募者と一緒に待ちました。それまでの試験でうじゃうじゃいた「モデル」や「ミスコン」系の人がほとんどいなくなっていて、「ほのぼの」系の人ばかりで意外でした。私のような現役の学生もいたけれど、社会人も結構いて、「仮病を使って会社を抜けてきちゃいました」なんて人もいて、普段の就職活動と応募者の面々が異なっていて新鮮でした。とても気さくで話しやすい人が集まっているな、という印象でした。

インタビューはイギリス人女性一人、フィリピン人1人、香港人1人、シンガポール人1人との4対1で行われました。「Hello!」と元気よく部屋に入ると、そのうちの一人のインタビュアーが「そのスーツ、とてもよく似合ってるわね。この試験はこれまでの試験と同様に今回の試験も簡単だからリラックスして。」と言われる。そうは言われても「ちょっと緊張してます。」というと「大丈夫。」と声をかけられました。

インタビューでは主に大学での勉強や生活などについて聞かれ、志望理由は一切聞かれませんでした。

まず「大学ではポルトガル語を勉強しています。」というと「珍しいわね。どうして?」と聞かれました。

その他、アルバイトで歌舞伎や文楽を上演している会場で働いていたので目上の方への接し方を学んだり、直接「NO」といわずにいかにお客様に「NO」と言うことを理解させるか、と言ったことを実践してきたという話をしました。

また、「ご家族があなたのことをどんな人?と言う質問をされたらあなたはどういう風に語られると思いますか?」という質問もあり、これには「前向きで、好奇心が旺盛で」などと自分のことなのにかなり肯定的なことばかり言ってしまいました。やはり相手は外国人だし、マイアミから帰って間もなかったためアメリカ式のずうずうしい考え方が結構身についていたのかも知れません。徹底的に「その人となり」を聞かれる面接だったと思います。

面接時間は20分ほど。時おり笑いも入りながらのリラックスムードで終わりました。その頃ちょっと気分がダウン気味な私でしたが、なぜかC社の面接に行くと楽しくて明るい気分になれるのが不思議でした。

実際にC社で働いて、また今から振り返ってみてもあの面接のポイントは以下の3つだったのではないかと思います。

1.第一印象がよいかどうか
2.協調性・柔軟性はあるか
3.たくましいかどうか

1は接客業なので他人に好印象を残すことができるのは最低条件。2は、クルーという仕事上チームワークが重要なため、「ワタシが、ワタシが」という人間よりは周りを見てそれに自分をフィットさせることができる協調性やその場にあわせて臨機応変に対応できる柔軟性が重要だから。(実際、フライト前のブリーフィングではしつこいくらい毎回のように「チームワークがとても大切」と言われたものです)3は日本と違って気が抜けない「香港で暮らす」ということとチャイニーズや東南アジアのたくましい人々と渡り合う上では必要だから。

しばらくソファで待っていると、さっきのチーフに名前を呼ばれ紙を手渡されました。「次は健康診断に来てくださいね。12月を予定していますけれど、詳しい日時は後でお知らせします」と言われました。ということはこの審査にもパスしたということだった。スチュワーデス試験についてほとんど知らなかった私は「そうか、あの面接官が言っていた通りここの会社の採用試験は簡単なんだ」と思い、実際に入社前のブリーフィングを受けるまでC社の試験にはほとんどの人が受かるものだ、鵜呑みにしていました。

 

三次試験もまた京王ホテルでした。

会場へ行くと「この人はモデル?」と思うほどにスタイルもよくてきれいな人でいっぱい。普通の就職活動会場とは違って服の色もカラフルで華やか。そしてすでにスチュワーデスっぽい髪型にしている人も多数...。「これはすごい」とひたすら驚いているうちに英語の筆記試験を受けました。

試験内容は、TOEIC形式で文法、読解の選択式試験に、リスニングテストで構成されていました。「さすが航空会社の試験だな」と印象的だったのが、読解やリスニングに出てくる文章が「クルーの仕事ではひじやひざ、腰を痛めます」とか「ロンドンへステイすると○○ポンドが滞在中のアラーワンスとして出ます」とか「オフはショッピングなどをして過ごします」とかクルーの仕事に直結した事柄だったこと。あとはイギリス領(当時は中国へ返還される前だった)のためか、英語の発音が全部イギリス式だったことです。アメリカ英語に慣れた私にはちょっと分かりにくかったけれど、なんとか解くことはできました。

試験後は部屋を出てしばらく待たされ、再び試験会場へ。緊張する受験生達の目の前に試験管がつかつかと入ってきて、「ほとんどの方が合格されましたが、残念なことに不合格となった方もいらっしゃいました。その方は次回またがんばってください。」という言葉を発しました。その後、一人一人に封筒が配られました。その封筒の中に次回のインタビュー日時が書いてあれば三次審査は合格、そうでなければ「残念でした」というものでした。至って決断が早い!

私の封筒には次回のインタビュー日程が書かれた紙が入っていました。つまり英語試験は合格ということでした。

書類選考と一次面接

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1. 書類審査

一次審査の「書類選考」には英語のレジュメに写真を貼って出しただけ。学生であったため職歴はアルバイト以外にあるわけでもなく、「英文レジュメの作り方」みたいな本を参考に作った一枚限りの簡単なものでした。氏名と学歴、職歴、資格などを書いて、就職活動用に使っていた伊勢丹で撮ったモノクロ写真一枚を貼り、C社の東京オフィスに送りました。

後から聞くと、「スチュワーデス試験」だからということでちゃんとそれらしい格好(髪はシニヨン、服はちょっと華やか目のスーツ)で撮った写真を送った人がほとんどだったらしかったです。

書類送付後、しばらくすると会社から通知が来て、二次審査を行うので新宿の京王ホテルまで来るようにとありました。


2.二次審査

通知の通り京王ホテルの会場へ。ホテルまでの道のりになぜか某S社のサロンケバヤっぽい格好をした女性とカラフルなスーツ姿の女性が歩いていて、「もしかして、この人たちも面接に行ったのかな?」と思われました。ホテルに着き、エレベータに乗ると、いかにも「スチュワーデスを目指してます風」の綺麗な女性がいて、彼女も同じ階で降りていきました。会場に着くと、髪をピシッとまとめてカラフルなスーツに身を包んだ気合十分な女性が多くて圧倒されました。今までの普通の就職活動の雰囲気とは大分異なっていて、「やっぱり厳しそうだなぁ」と率直に思ったものです。

二次試験では、身長・体重測定、そして腕や顔などの肌のコンディションチェック、裸眼での視力検査という身体面でのチェックが行われた後に、数分間のインタビューに呼ばれました。

身体チェックの試験官は現役のクルーで、チャイニーズ系、フィリピン系の人達が制服姿でいました。身長・体重はそれぞれのバランスが重要なようで、やせ過ぎでも太りすぎでもいけないとのことでした。肌のチェックはおでこを出して顔を見せ、腕をまくって表・裏と見せます。後から考えるとタトゥーチェックもかねていたのかも知れません。

インタビューはC社の現地スタッフと一対一で行われました。「学校では何してるの?」とか「どうして応募したの?」などの軽い雑談のような内容を二言三言交わし、「じゃあ、この日に次は筆記試験に来て」と紙を渡されそれで終わり。ここではほんとに何か「審査」していたの?というあっけないものでした。

応募のきっかけ

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私が香港・C社のクルー(客室乗務員)就職試験を受けたのは1996年の夏でした。当時は今ほど就職活動の動きが早くなく、活動自体始めるのは大学3年の春休みくらいからで、内々定が出るのが早くて4月とかGW明けくらいでした。とはいえ既に「就職氷河期」と言われていて、大学4年の夏ともなると、すでに周りの男子学生は大手商社などに続々内定が出ているというのに、私はといえば、5月にマイアミでの交換留学から帰国したばかりで頭が南国ボケをしていた上に、特にこれといって何をしたいという明確な意思もないまま就職活動を続けていたのです。一応いくつかの会社からの内定を受け取っていたのものの、「このまま私は日本社会に埋もれてしまうのだろうか・・・」、という漠然とした不安を解消すべく試しに受けてみたのが香港のC社だったのです。

とはいえ、私はそもそも「スチュワーデス」になろうと考えたこともなかったし、なれるとも思っていませんでした。大学の先輩にも何人かスチュワーデス試験に合格した人がいたけれど、彼女達を見ていると、事前にスチュワーデス学校に行っていたり、すごく美人だったりしたので、スチュワーデスというのは特別に準備をした特別な人しかなれないものだと思っていて自分には無縁の存在に思えていたからです。でも航空会社(特に外資系の)には興味があって、現地の地上職とかになれればなぁ、とうすらぼんやりと考えていた時期はありました。

そのほか、スチュワーデスという職業をそれまで考えてもみなかった理由としては

1.個人的な旅行で行くフライトで足はむくむし、時差ぼけはあるしで、とても常人ができる仕事ではないと思っていて、まさが自分があの環境で働けるとは想像できませんでした。

2.身長が160センチ以下だったので応募資格があるとは思っていませんでした。

3.視力がすでに0.3くらいとあまりよくなかったため、これまた応募資格があるとは思っていませんでした。

そんな私がC社を受けた理由は

就職情報雑誌(就職ジャーナル)で前年に新卒で入社した女性のケーススタディが掲載されており、C社に入ると香港に住めて、いろんな国の人と一緒に仕事ができ、かつ世界中の拠点へ飛べるということが分かったからです。

ということは、、、
大学を卒業しても旅行ができる!
以前からの夢であった海外生活ができる!

という、「社会人になることによる不具合」と当時考えていたこの二大障壁を解消することができる手段だということが分かったからです。

さらに応募条件を見ると「身長157.5センチ以上、視力良好」とあるだけで「身長158センチそこそこ、視力は0.3」の私でもなんとかなりそうな基準でした。

実際の求人募集はその時点では行われていなかったのですが、数ヶ月後の朝日新聞で募集広告を発見したので、早速英語のレジュメを作って応募してみました。